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構音訓練をやめる勇気

2025/08/5

こんにちは、plus-STの渡邉です。

 

先日、元同僚のセラピストと会ったときに、“訓練のやめどき”について話が及びました。

それはわたしたちの領域全般に言えることではありますが、なかでも構音訓練のやめどきの見極めが難しいという話が大部分を占めました。

そこでの気づきをシェアします。

構音訓練、なぜやめられない?

構音訓練には、効果が高いとして確立された訓練法が多々あります。

また、その成果が聞いてわかるだけに訓練効果が見えやすく、「練習すればよくなる」という前提で上を目指し続けてしまいがちです。

 

もちろん、患者さんがアナウンサーなどの正確な構音を求められる職業である場合には、上を目指し続ける必要があるでしょう。

ですが、「日常生活に支障がない程度」「家族や友人との会話に不自由しない程度」くらいのラインがゴールである場合、必ずしも正確な構音が必要かと言われると、そうとも限りませんよね。

 

構音の改善が本人の生活の豊かさに直結しなくなってきたとき、どこまでの正確性を求めるのか――。

その線引きをするのも、言語聴覚士の役割ではないでしょうか。

完璧を追い求めることの弊害

「きれいな構音が獲得できるなら、訓練続ければいいじゃん!」とのお声が聞こえてきそうですが、そのご意見もごもっともです。

本人が希望しているのであれば、さらなる高みを目指すことも1つの選択肢でしょう。

 

ですが、すべての方がそうとは限りません。

「もっと正確に」「もっときれいに」「まじりけのない音を」と求めることが、本人の自信や自然な発話を奪うことになっていないでしょうか

多少音が歪んでいたとしても…

 ・語彙が豊かなので、言い換えやジェスチャーなどによって自然な会話が成立する

 ・聞き返されたときに自己修正できる

 ・普段関わる人の多くが、本人の発音を聞き取れている

などの環境にいるならば、美しさを求める必要性は低いかもしれません。

言語聴覚士だから“卒業”のタイミングを提示できる

構音訓練に限った話ではありませんが、訓練をやめるという判断は簡単なことではありません。

特に改善の余地が残されている場合、セラピストとして非常に勇気のいることだと思います。

 

ですが、わたしたちの目標は、「完璧な音を作り出させること」ではありませんよね。

支援の本質は、「伝わることば」で「その人らしく生きる」ことを支える点にあります。

 

本人だけではなく、その方が置かれた状況や周りの環境までを評価し、その人らしく生きていけるとの判断に基づいたベストタイミングで、卒業を提案できるのが言語聴覚士です。

最高点まで訓練を続けることが正義とは限りません。

さいごに

日々臨床で機能向上を目的に訓練していると課題と成果ばかり見てしまい、その向こうに存在する患者さんを見失ってしまうことがあります。

訓練が、そしてその成果が、患者さんの幸せにいつも直結するとは限りません。

「この練習、本当に本人のためになっているだろうか…?」と振り返る勇気を、忘れずにいたいものです。

 

患者さんの訓練成果は、わたしたちセラピストの勲章ではありません。

わたしたちはいつだって、患者さんのことを真ん中に据えて、患者さんを陰で支えるサポーターです。

患者さんに余計な苦労を強いるくらいなら、やめる選択肢を提示する――。

これも立派な支援の1つだと思います。

執筆者:渡邉睦美(言語聴覚士)

このコラムでは、臨床や経験に基づくこと、豆知識、問題提起など様々なトピックを扱います。
執筆者は企画の和久井のほか、色々な職場・働き方・ジャンルで活躍されている言語聴覚士に依頼していく予定ですので、リクエストもお待ちしています。
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